考えすぎだよと、たまに人から言われる。
「考えすぎは良くない」などという通念の様なものがあるが
以前の自分はそんな訳が無いとひたすら思っていた。
だけど、なぜ良くないのか、最近になってわかったこともある。
自分だけかもしれないが、ある物事についてあらゆるケースを想定すると
慎重に考えれば考えるほど、そのほとんどは良くない事となる。
より良い選択を行うために、あらゆるケースを考えるわけで
これは当然前向きな姿勢があるからなのだろうが
いつの間にかあふれてくる多数の「良くない事」に
当初の前向きな姿勢というものは押しつぶされてしまい
結果、行動を制限されてしまうなんて事が、良くあると気がついた。
自分のとっての「考えすぎは良くない」とは、そういう事なのかもしれない。
俺は自由では、無い。
「考えすぎは良くない」などという通念の様なものがあるが
以前の自分はそんな訳が無いとひたすら思っていた。
だけど、なぜ良くないのか、最近になってわかったこともある。
自分だけかもしれないが、ある物事についてあらゆるケースを想定すると
慎重に考えれば考えるほど、そのほとんどは良くない事となる。
より良い選択を行うために、あらゆるケースを考えるわけで
これは当然前向きな姿勢があるからなのだろうが
いつの間にかあふれてくる多数の「良くない事」に
当初の前向きな姿勢というものは押しつぶされてしまい
結果、行動を制限されてしまうなんて事が、良くあると気がついた。
自分のとっての「考えすぎは良くない」とは、そういう事なのかもしれない。
俺は自由では、無い。
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無題
自身の中で「無難だ」と確信できる選択までたどり着けない。
他者の趣向や生理的あるいは精神的な状態といったものを把握しきらない限り
俺にとっては不可能のように思う。
しかし対象者への信頼感を以って、その代用とできる様だ。
まさに、それによって生かされているように思う。
他者の趣向や生理的あるいは精神的な状態といったものを把握しきらない限り
俺にとっては不可能のように思う。
しかし対象者への信頼感を以って、その代用とできる様だ。
まさに、それによって生かされているように思う。
無題
無難て表現は、良くもないが悪くもないといったときに使うのが一般的だが、
あなたの場合は文字通り、万難を排した状態をさすのでしょうね。
自分自身の考えが絶対的なものなのか、相対的なものなのか。
絶対的なものであれば、これという道はすぐに見つかるけれども、
どなたかがレスされてるように少なからず軋轢は生まれるでしょう。
相対的なものならば、簡単には答えは見つからないでしょう。
多種多様な他人の考えに全てあわせること不可能だから。
俺の場合は、自由とは「選択の自由」と定義している。
そこになんの制限も束縛もないとは言えないが、
そもそも社会に生きている以上、
「何もかもが思い通りになる世界」は存在していないと認識しているので、
それが自分自身で選択した道であれば、それが自分の「自由」と考えているかな。
他人に決めてもらうのではなく、自分自身で決断する。
もちろんアドバイスなどを他に求めることもあるが最後は自分自身の判断。
これが俺の自由の定義。
あなたの場合は文字通り、万難を排した状態をさすのでしょうね。
自分自身の考えが絶対的なものなのか、相対的なものなのか。
絶対的なものであれば、これという道はすぐに見つかるけれども、
どなたかがレスされてるように少なからず軋轢は生まれるでしょう。
相対的なものならば、簡単には答えは見つからないでしょう。
多種多様な他人の考えに全てあわせること不可能だから。
俺の場合は、自由とは「選択の自由」と定義している。
そこになんの制限も束縛もないとは言えないが、
そもそも社会に生きている以上、
「何もかもが思い通りになる世界」は存在していないと認識しているので、
それが自分自身で選択した道であれば、それが自分の「自由」と考えているかな。
他人に決めてもらうのではなく、自分自身で決断する。
もちろんアドバイスなどを他に求めることもあるが最後は自分自身の判断。
これが俺の自由の定義。